「国産にこだわっています」と掲げるブランドは数多くあります。しかしその多くは、コスト圧力がかかった局面で海外生産に切り替わります。90年間その方針を変えなかったブランドは、何が違うのか。吉田カバンを題材に考えます。
本稿は公開情報にもとづく外部からの分析です。同社は従業員数や提携工場数を公表していないため、それらの数値には触れていません。
沿革 — 90年の歩み
2025年で創業90年。日本の革製品・鞄ブランドとして最も長い歴史を持つ部類に入ります。
創業者の原体験が定義を決めた
創業者の吉田吉蔵氏は12歳でカバン職人としての修業に入り、17歳のときに関東大震災を経験しました。そこから「カバンとは第一に荷物を運ぶ道具でなければならない」という考え方を生涯持ち続けたとされます[2]。
この一文は、ブランドの意思決定基準として非常によく機能します。「道具である」と定義した瞬間、判断の軸が定まるからです。装飾を足すべきか、強度を優先すべきか、迷ったときに立ち返る場所がある。
ブランドの言葉は、美しいかどうかではなく、判断に使えるかどうかで評価すべき——これが最初の学びです。「上質な暮らしを提案します」では、目の前の仕様判断に使えません。
メイド・イン・ジャパンを「創業当初から一貫して」
同社は「創業当初から一貫して、メイド・イン・ジャパンにこだわった鞄を製造・販売しています」と公式に述べています[1]。
重要なのは「創業当初から」という部分です。後から国産に切り替えたのではなく、安い海外生産という選択肢が一般化する以前から続けている。つまりコスト構造がその前提で組み上がっており、価格設定も販路も人材も、すべてが国内生産を前提に最適化されています。
逆に言えば、途中から国産に切り替えるのは難しいということでもあります。原価が上がり、既存の価格帯と整合しなくなるからです。生産地の選択は、思想である前に事業構造の問題です。
「日本の職人を絶やさない」は供給網への投資
同社が受け継いでいるとする「すべての工程において手を抜かない一針入魂」の精神、そして「日本の職人を絶やさない」という考え方[1]は、情緒的なスローガンとして読まれがちです。
しかし実務的に読むと、これは自社の供給網を維持するための投資方針です。国内生産を続けるには、国内に作れる職人がいなければなりません。職人が引退し後継がいなければ、方針そのものが崩れます。継続的に発注し続けることが、供給網の維持そのものになる。
ここは日本の革製品業界全体の課題と直結します。工房が減れば、国産を選びたいブランドが選べなくなります。
新興ブランドが移植できること
- 製品の定義を一文で持つ — 「道具である」のように、仕様判断に使える定義を決める。曖昧な世界観は判断に使えません。
- 生産地は思想でなく構造で決める — 国産を選ぶなら、その原価に耐える価格帯・販路・訴求をセットで設計する。順序を逆にすると続きません。
- 作り手との関係を発注量で維持する — 単発の安い発注を繰り返すと、いざというとき優先して受けてもらえません。関係は取引実績で作られます。
- 変えない部分を先に決める — 90年変えなかったものがあるからブランドとして認識される。何を変えないかを決めるほうが、何を変えるかより難しい。
率直な注意点
吉田カバンの成功は、90年という時間と、ナイロン素材のPORTERシリーズが時代の需要と噛み合ったことの積み重ねです。「国産にすれば売れる」という話ではありません。
むしろ現在の市場では、国産であることそれ自体は差別化になりにくくなっています。国産という選択が生きるのは、それが製品の性能や体験に具体的に翻訳できるとき——たとえば小ロット対応、短納期の修正、修理の受けやすさ——に限られます。
アイライズ工房の対応
アイライズ工房は東京・江東区の自社工房と、海外の提携工場ネットワークの両方を持っています。「国産だから良い」とも「海外だから安い」とも申し上げません。ブランドの価格帯・ロット・納期・訴求内容から逆算して、どちらが合うかをご一緒に検討します。国内で作る意味が薄い案件であれば、正直にそう申し上げます。
出典
- 𠮷田カバン 採用サイト — 会社を知る1935年創業、メイド・イン・ジャパン一貫、一針入魂、日本の職人を絶やさない
- 吉田カバン — Wikipedia1951年株式会社化、1962年PORTER立ち上げ、創業者の経歴
- 株式会社吉田 — 会社概要企業概要(公式)
